20170106 リリーのすべてについて
一つの生命体に性別が三つあるっていう話をきいて。
肉体的・精神的・恋愛対象
リリーの場合、恋愛対象がすごく疑問だったのだけど、これをきいたらすんなりかもしれない。
●リリー
肉体的には
男性(女性的)→女性へ外科手術で変化
精神的に女性な面を隠していたためが生殖機能が低く不妊傾向
えりの高いシャツをきて男性らしく振る舞おうとしていた。
精神的には
女性を持っていたが、男性になっていた→女性を開花→女性
幼少期にトランスジェンダーだったが、父親に男らしくと強制される(この時の初恋は男の子の親友)
恋愛対象
男性→女性→男性???
初恋の男の子にキス
ゲルダ(女性)と結婚、性行為
リリー(アイナー)はトランスジェンダーだったが、父親に強制されて肉体的な性へ精神的な性にされていたので
幼少の自我をいっときの過ち、戯れだとしまいこんで、男性としてゲルダを愛していたが、そこが問題であって…。
というのもゲルダは先進的な人物で、ゲルダはアイナーと似て非なるものだということ。
●ゲルダ
肉体的には
女性
女性としておしゃれをしたり。妊娠を望んでいる
精神的には
女性だけど男性的(語弊があるかな)
弱いところもあるのだけれど、彼女はとても野心的で自立したがっている。
アイナーとの出会いも実際彼女のほうが積極的だったりして、アイナーとゲルダはよく似ているといっているところからして
アイナーにはない野心的なめらめらと燃えるような情熱は彼女のほうが強い
恋愛対象
男性
弱っているときに支えて欲しくなるのは男性
ただ、リリーに対しては別でリリーにはアイナーの面影があるからかなあ…対象だと私は思っている。
リリーがはっきりとトランスジェンダーだと思うけど、ゲルダもまた、原作や本人的にいえばガツガツしていたり、レズビアンではないかと言われてたりしたのでとても自立していてかっこいい女性なのではないかと思う。彼女も隠れたトランスジェンダーなのかもしれないなと思うのはリリーに対しては恋愛感情みたいなものを持ち合わせているのではないかと思ったが、これは性愛というより無償の愛なので、恋愛よりも昇華している可能性が高いかな。
●ヘンリク
肉体的
男性
そのまま
精神的
男性
そのまま
恋愛対象
男性
リリーになっているアイナーを見破ってアイナーであることをしりつつなので彼はゲイなんだけど、アイナーがリリーになったあとにまた仲が戻っている可能性が高いなと私は考えているのでヘンリクはゲイだけど…リリーに対しては…って感じ…かなあ…
リリー→ヘンリク(女性として恋愛対象にされたい)
ヘンリク→リリー(それって本当の女性??)
ヘンリク→アイナー(ゲイ)
リリー→ゲルダ(慈愛)
ゲルダ→リリー(恋慕にもにた慈愛)
アイナー→ゲルダ(恋愛感情)
ゲルダ→アイナー(恋愛感情)
どっちかって感じじゃなくてカメレオン的な感じ。
恋愛対象はほんと疑問だったんだけど
リリーの場合、白黒って感じではないから…ここが難しい
相手がゲルダとヘンリクっていうてのも難しい
これ人間関係がむちゃくちゃ難しいんだな…。
これが原作だとめっちゃはっきりしてる。
アイナーはリリーを自覚してから女装をして男性とデートしたりしているし、誘惑したりしてる。
男性と見世物小屋でアイナーの姿で誘惑をして(女性的な仕草で)性的な行為もしているので
肉体は男性
精神は女性
恋愛対象は男性(これの場合精神が女性で男性が好きっていうヘテロ状態で、精神が男性の時は女性がすきっていう)
ゲルダはアイナーの生徒でアイナーにアプローチしているから
当時の女性的には自由な感じだったのかなあ…
読んだ感じだとゲルダはとっても女性だけど自分で切り開く感じで男性的だなと思うので。
精神的には男性でアイナーの女性なところに惹かれた感じかな(内面と外見の逆さまヘテロ状態)
ヘンリクは
肉体的にも精神的にも男性で
恋愛対象は女性だと思われるんだよなあ。
というのも、リリーと初めてあったときにリリーを口説いているのだけど色々あって疎遠になり、リリーの手術が終わったあとに再開する。
その時点でリリーは女性になっているわけなのだけれどそこでまた承知の上でプロポーズをしていたとおもう(ここ記憶ぼやっとしてる)
しかもリリーとの子供がほしい流れになるので、たぶんこの人は『リリー』を好きになったので女性が性的対象だけど、それが元男性であってもいいのだとおもう。
それを受けてリリーは結婚と妊娠を切望して、再び手術をするわけなんだけども…。
確実にいえるのはとてもカメレオンなんですよ。
アイナーとゲルダは合わせ鏡にようで、同じ種類ではあるんだけど相対的で、アイナーの変化に応じて相反して行くから合致していく。凸凹みたいな。
一番の疑問は映画のヘンリクの恋愛対象ですし、そのあたりがはっきりしない感じだけど、たぶん腕組んでるからいい仲だと思っているし、リリーが手術を早めたいっていったのもヘンリクのことがあったからだと思うんですよね。
彼はゲイだものっていってるけど、ゲルダは気づいていて、それを踏まえて怒っている?ってリリーは聞くわけで。
でもそこでヘンリクに手術についてきてって言えないのは好きな人に見苦しい状態を見せたくないっていう乙女心にも見えるわけです。
そう考えると手術前の夜にゲルダを見送ったあと号泣するのは、私は懺悔的な涙だと思うんです。
自身の幸せを望むことでゲルダが辛いことになってるのはわかっているのですが、それを止められないんですね。いままで我慢してたから。ゲルダの愛を利用している自分がわかっていてそれを謝まっている涙にみえたんですよね。
全員が幸せになる方法がこの場合ない。何かを手放さなければ得られないんですね。
手術後、目が覚めて庭にでたとき、ゲルダに「あなたの愛に値しない」っていうのは、ゲルダの無償の愛を受けるような人間じゃないのよ私は。あなたを捨ててしまったからっていう意味なんだろうなって思ってました。
だからリリーは夢でゲルダがお母さんになっている夢をみるんですよね。母親の愛って無償のイメージですし。
そのあともゲルダの無償の愛は続きますよね。
自立したゲルダは新しい幸せを掴んで、リリーの故郷へいきます。風に飛ばされたスカーフをリリーと重ねて彼女を性というしがらみから自由になったと涙するわけですね。
そして、彼女の恋する気持ちや慈愛の気持ちは絵になって描かれて行くわけです。
性は育みでもあって、愛でもあり、しがらみでもあるのかなと。
男性でも女性でも自由になれたらいいなと思うのですが、まず判別をしないと整理できないっていうところもあります。
それはずっとそう教えられてきたからだなって思います。
これを打っていても男性っぽいとか女性っぽいとかステレオタイプになっているって自覚もあるんです。
心は性別を超えるけど、肉体はそうはいかないわけですよね。
私は恋愛対象が同性でも異性でも自由だと思っていますが、心と肉体の不一致はやはり一番辛いのかなって思います。
毎日みるものですし、周りからは強制されますからね。
リリーのすべてをみた時に、リリーが勝手だ!リリーは男性的だ!という感想を見かけたのですが、それはたぶんゲルダのことを思ってだと感じました。結婚をしたからにはゲルダとアイナーの幸せを育むのは互いの誓いだと思うので。
でも結婚や幸せや恋愛の前に、まずリリーのことを考えてみます。
自分は女性だと思っているのに足の間には男性器がぶらさがっていて、ふくよかな胸はない。
毎朝のびる髭、体臭、妊娠できない体、生理現象、きらきらした女性が歩いたあとの残香、手元にはごつごつとした手。
毎日の排尿。手で掴む行為。性行為。全部自分が肉体的に男性だと知らしめられる毎日。
自分の肉体に違和感を感じないことがどれだけ平和なのかと思ったのがこの映画をみて感じたことでした。
だから、リリーが女性になりたいと駆け出したのはわからなくもないんです。
それが一個一個ゲルダとの関係を歩調を合わせることも人類で初めての試みで方法もわからない手探りの状態ですからああなってもしかたないかなとか。
周りでリリーを認知してくれる人は、ゲルダだけだったんです。
だから、ゲルダに罪悪感を感じつつも彼女の存在に頼るしかなかったわけですね。
人類初の性転換手術を受けるって相当の覚悟と情熱と願いがなければできませんよね。
死ぬ確率も高かったし。本当に生死をかけた選択だったと思います。
結婚も、恋愛もまず自分が確立していないとできないものかなって思います。
自立っていうより自分はなんなのかという物差しに性別があって、リリーはそれをはっきりさせたかったのかなと。
なので、勝手というより、彼女は彼女なりに、彼女自身を確立させたかったという話なのです。
もちろんそれにゲルダを巻き込んだ状態になったのはいうまでもなく、それを懺悔するようにリリーはゲルダにいいますからね。
リリーのわがままが言える存在がゲルダだけだったっていう。
そういう愛なんですよね。
なので性別が~ってことで考え始めたけどそもそも性別とは…って考え初めてしまいますよね。
生殖をするには男女の組み合わせですが、慈しむ家族を求めるなら養子もありますよね。
方法は限られているけれど、違う形もあるんだなあと最近思いますね。
関係とかってもっとこう!っていうものじゃなくて緩やかになっていくんだろうなあって思います。
リリーが現代にいたら、リリーは手術をして女性の肉体へ近づき、戸籍を変えて、ヘンリクと結婚をして養子をとり、家族になりゲルダとショッピングにいったり、ゲルダのモデルをしたり。ファッションを楽しみ、アパレルや化粧品を売る仕事についたり、女性デザイナーとしてキラキラと輝いていそう。ゲルダも再婚して、リリーの子供を一緒にみたり、二家族一緒にでかけたりして新しい形ができそうなものです。他者の眼は感じないでね。
そう考えたら色々な方法で幸せを掴む選択肢ができた現代になったけど、まだまだ色々な形ができそうだなって思うんですよね。